青梅日日雑記

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「文楽の歴史」

文楽の歴史 (岩波現代文庫)

文楽の歴史 (岩波現代文庫)

文楽の歴史を芸的な側面ばかりではなく、そこに関わる人たちの人間的な側面からも追った「文楽史概論」。なぜ大阪という土地で勃興し、隆盛し、そして没落したか。そこを知ることが文楽復活のための指針にもなる。

題名より、もうちょっと固く、いわば「文楽史概論」といった趣の書。これから文楽を観てみたいから、とかちょっと文楽が好き、といった人たちには難しいかもしれない。文楽の藝という面より、それに関わる人たちの、もっと人間的な側面から掘り下げた通史書といったほうがいい。その起源、成り立ちから、橋下徹前大阪府知事・現大阪市市長による補助金削減問題まで、230頁という枚数を考えれば、まさに概論、ではある。

 「文楽」とは、以下の3つの構成要素、「三業」でなっている、と筆者はいう。

 ドラマを物語る「大夫」、それを補助する「三味線」、ドラマを視覚化する「人形」、この三者の共同で成り立つ。

 そもそも「文楽」とは、上演する劇場、「座」が幾つもあり、そのうちの一つ「文楽座」が最後まで残ったので、通称として言われてきたのであって、古くは「操芝居」または単に「操(あやつり)」、そして「人形浄瑠璃」と云われるようになったのは、明治維新以降のこと。そんな名称の変遷以上に、文楽の歴史は一筋縄ではいかない。「三業」はもとより、観客、そして文楽を、その歴史を通じて裏で支えてきた、スポンサー、パトロンたちの思惑が、複雑に絡み合っている。

 伝統芸能の中でも、封建的な身分制度、藝の伝承制度があるために、いつの時代も人間的な軋轢が生まれてきた。劇場といわれる「座」がいくつもあったというのも、そういう制度仕組みの中で、芸風の違いはもちろんだが、金銭的、心情的な摩擦による派閥があったから。そこに「座」が結局ひとつとなり、最後には行政機関による保護に頼らなければならなくなった、という原因がある。

 もちろん「人形」という、道具仕掛けがあるために、他の伝統芸能に比べて、財政的な負担が大きかったというのも、事実。また元来が大阪ローカルな芸能であったことも、事実。近松のような作品が当たればいいが、そればかりではない。何ごとにも敏感な大阪人のあいだで、流行らなければ、収入がなくなり、他に芸をみせる場所を探さなくてはならない。だから不入りで座が解散すれば、それぞれが地方に巡業に出かける。その様子が、本書にも描かれている。

 余談だが、大夫が大阪から東京に下ってきて、寄席で「素浄瑠璃」を聴かせる。「素浄瑠璃」とは、三味線を伴奏に大夫が語る。人形はない。特に明治以降、これが流行った。いわば「東北の玄関先である」東京では、その当時ですでに失われつつあった「義理」という、一見旧弊的な人としての規則、ルールを背景にした物語に、若いころの漱石や子規が熱狂したのである。

 通して読んでみると、文楽を行う側の旧弊的な側面が、今に至る現状をもたらしたというのもよく分かる。単に芸術芸能という面から見ただけではわからない複雑さが、まさに個々にある。

 けれども、本書がいう「当時の人々の最も大切な生活の規範(義理)」と「音楽の齎す幻想と舞踊の起す幻想」で舞台効果を高める文楽は、もはや世界無形文化遺産である(2008年登録)。世界が認める文化的財産を、日本人が守っていくには、芸樹的な側面ともにこういった人間的、現実的な側面も理解しておくことが、将来の布石にはなる。