青梅日日雑記

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「食いしん坊」

食いしん坊 (河出文庫)

食いしん坊 (河出文庫)

食に対する我儘ともいえる追求は、現在のそれとは明らかに違う。それは、機械化と合理化が進んだ今とそうでない昔とでは、根本的な価値観が違うから。もう手に入れることは出来ないかもしれない贅沢が羨ましい。

大正・昭和の文壇で三遊亭圓朝の評伝を代表作とする、所謂「芸道小説」や大衆小説で名を成した小島政二郎。彼が戦後、昭和20年代に上方の食文化誌「あまカラ」に連載した食に関する随筆をまとめたもの。

いきなり冒頭に以下の一文がある。

大地震までは『餡蜜』なんという甘いが上にまた甘い餡を掛けるような不合理な菓子はなかった。あのころから、甘さに対する味覚が下落した。(中略)日本人の甘さに対する舌が堕落して、救うべからざる状態に落ち入ってしまった。

餡蜜(あんみつ)好きにとっては、目からウロコの言葉。これには少し驚いた。調べたら、餡蜜は昭和に入ってから食べられるようになったらしい。

小島に言わせると、昔の和菓子の甘さの基準が、果物だったとのこと。これは知らなかった。それを思えば、いまの和洋菓子の甘さなんて、甘ったるくて仕方がないに違いない。甘くない甘さ、これが本当の甘さだということ。

ここには甘味だけではなく、彼の食全般の薀蓄が満載、そして何より、上品に食すというよりは、食を楽しんでいるというのがよく分かる。道楽を極めているといえば、それまでだが、小島の心眼が老舗の良し悪しを見極めていく文章は、今でも新鮮。実際取り上げられている名店のなかで現在でも残っているものもあるけれど、色々と問題、事件をおこしてしまった老舗もある。それらを予言したかのような率直な感想は痛快でもある。

久保田万太郎菊池寛泉鏡花久米正雄芥川龍之介ら、文士文豪の食に対する思い、その他日常のエピソードにも事欠かない。晩年、その衣着せぬ物言いから、多くの敵を作ってしまったという小島だが、率直な描写は彼らの別な一面を見せてくれる。反対に小島自身が述べているように、小説家としては大成することが出来なかったコンプレックスも見え隠れするのも興味深い。

ちなみに、小島の食べ物に関する信条は次のとおりだそうだ。

お料理は、誰がなんと言っても材料だ。その次に腕のよしあしが物を言う。それから最後に親切

個人的に一番大切なのは、小島の書いた最後、親切。ホスピタリティ。これがなければ、どんな料理も不味くなると思う。