青梅日日雑記

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「大東京繁昌記 山手篇」

大東京繁昌記 山手篇 (講談社文芸文庫)

大東京繁昌記 山手篇 (講談社文芸文庫)

江戸・東京文化の美しいところは、実は明治以降、それらが失われる過程で見られた「滅びの美学」ともいうべき、都市が、そこに住む人々が、変わっていく姿に、何かしらの哀愁感のようなものにあるのかもしれない。

これは昭和2年、関東大震災から4年経った後、当時の東京日日新聞(現在の毎日新聞)に連載されたものをまとめたもの。急速に復興する東京の姿を、島崎藤村高浜虚子徳田秋聲ら、当時の文士たちと、木村荘八ら画家たちが描き出していく。

明治維新と大震災で、完全に失われたかにみえた、それまでの古き良き江戸・東京文化。しかし、文士画家は声高に嘆くことはしない。もちろん昔を懐かしむことはあっても、生まれ変わっていく東京に期待を抱いている。それは、価値観までは全て失われることはないだろうと、楽観視していたフシがある。余談だが、ところが結局、東京大空襲と太平洋戦争での敗戦とで、江戸・明治時代の風物・文化はおろか、価値観までも失ってしまったのだが。

原書が「下町篇」「山手篇」とに分かれるなかで、これは「山手篇」。飯倉周辺を藤村(挿絵を木村荘八)、丸の内(ここが「山手」に入るのか?)を虚子、本郷の大学周辺を秋聲が担当。常に注目される下町と比べたら、それほど注目されることのない、地味な山手だが、その復興後のモダンさは、現代のそれをもってしても、遜色ない。丸ビルで働くサラリーマン、神楽坂・早稲田界隈を徘徊する学生、そして彼らを毎日乗せて、都市の血管のごとく血液を隅々までに運ぶために疾走する、省線(電車)や普及し始めたばかりの自動車。

そこに登場する人々は、当然ながら江戸の人々ではない。あくまで「東京人」。典型的な「江戸っ子」とは違う。今の時代にも通じるコスモポリタン。筆者たちはいずれもそうなっていくことを、ある意味誇りに思いながらも、一方で過去の「江戸っ子」に哀愁を感じている。

東京の文化といえば、直ぐに思い出されるのは、江戸文化、浅草、上野、そして所謂「谷根千」に代表される下町だろう。確かにそれはそうだが、実は明治以降、それらが失われる過程で見られた「滅びの美学」ともいうべき、都市が、そしてそこに住む人々が、変わっていく姿に、何かしらの哀愁感のようなものにも、あるのかもしれない。