青梅日日雑記

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「昭和の東京1新宿区」

昭和の東京 1 新宿区 (加藤嶺夫写真全集)

昭和の東京 1 新宿区 (加藤嶺夫写真全集)

写真家加藤嶺夫が撮影した昭和40年代初期から平成ヒトケタにかけての「昭和の風情」を感じさせる写真の数々。第一巻は新宿区。収録されているのは、歌舞伎町、ゴールデン街、旧赤線(新宿二丁目)、新宿駅西口、大久保、高田馬場、落合、早稲田、飯田橋、神楽坂、市ヶ谷、四ツ谷、信濃町。そのカオスっぷりは、今も昔もまったく変わらない。

子供の頃、東京の西多摩に住んでいた者にとっては、当時新宿が一番近い都会だった。

 

渋谷には、母方の両親が住んでいたので、度々行くことはあったけれど、新宿か吉祥寺で乗り換えなければならなかったし、池袋はもちろん、地下鉄を経由して行かなければならない、東京や上野や銀座などは、だいぶあと、高校生か、御茶ノ水にあった大学に通うようになってから、行き出した。

 

それでも新宿に行くのは、誕生日とかクリスマスとかに、小田急や京王、あるいは三越、伊勢丹で、親に何か買ってもらい、そのあとでデパートの食堂で食事をするときぐらいか、春休み、夏休み、正月に封切り映画を観に行く時ぐらいで、そう何回も行くようなところではなかった。

 

映画は何をみたか、忘れたが、たしか小中学生時代、昭和50年代に全盛だったパニック映画を見に行った記憶がある。「タワーリング・インフェルノ」とか「カサンドラ・クロス」とか。今のようにシネコンではなく、もちろん単館上映。どこで観たかも覚えていないが、封切り初日の初回を観るため、青梅の田舎から、始発の青梅線、中央線と乗り継いで、何回か出かけていったことを思い出した。長蛇の列がさばききれなくて、映画館の非常階段に並ばされていたと思う。余談だが、映画を観たあとにいつも寄ったのが、紀伊國屋書店の本店。2階の帝都無線があり、3階には喫茶店もあった。地下の食堂街もすっかり模様替えしてしまったけれど、今もあるスパゲッティ屋「ジンジン」は、昔のほうが断然良かった。いまは学生アルバイト風な兄ちゃんがやっつけ仕事をしているが、学生のころには、如何にも職人といった風の調理人が、きちっとした仕事をしていた。

 

この巻に収録されているのは、昭和40年代全般から平成ヒトケタにかけての歌舞伎町、ゴールデン街、旧赤線(新宿二丁目)、新宿駅西口、大久保、高田馬場、落合、早稲田、飯田橋、神楽坂、市ヶ谷、四ツ谷、信濃町。平成時代のもあるが、あくまでも印象として「昭和」の風情を感じさせる写真を収録している。個人的に風景として、懐かしく思うのは、先に上げた歌舞伎町の映画館街、新宿西口、高田馬場(予備校に通った)、飯田橋(父親が長らく入院していた警察病院があった)。「そういえば、あったなぁ」と思い出したのは、西口のションベン横丁、南口の近くの甲州街道に通じる階段と公衆便所。

 

それぞれの場所が、昔と今とでは全く変わってしまったところもあるし、いやいやまだまだ、昔の雰囲気がそこはかとなく、残っているところもある。ただ言えるのは、新宿のもつ猥雑さ、混沌さは、建物が新しくなり風景が一新しても、変わりない。