青梅日日雑記

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「芸談・食談・粋談」

芸談・食談・粋談 (中公文庫)

芸談・食談・粋談 (中公文庫)

時に江戸文化の「粋」を象徴する落語家、噺家。五代目柳家小さんはいう、その芸とは「ほんとの苦労をなかからたたき上げる芸」だと。その昭和の名人が語る、「芸」と「食」と「粋」とは。

落語には、食べ物がモチーフになる噺が多い。「時そば」「饅頭こわい」「ちりとてちん」…、このいずれもが、五代目柳家小さん(1915ー2002)の十八番(おはこ)だった。

これは、その五代目(といえば、この柳家小さんをさす)小さんと盟友である、早稲田大学名誉教授で落語研究家だった興津要(1925ー1999)との対談集。原書は1975年に出版されている。内容は、前半は噺家としての芸談、後半が2人の食談義。

芸談は、五代目の幼い頃から噺家になるまで、前座・修行時代のこと、噺家としての了簡、芸について語り合う。それにしても「了簡」とは、いい言葉だ。単に「噺家としての考え」というより、穏やかありながら、その実はエッジが聴いている。「一にサゲ(オチ)、二に弁舌、三にしぐさ」でもって、色気を表現する噺家とは何かということを、別段、大上段に構えるわけでなく、それこそ、生前の五代目の高座を目の前で聴いているような感覚で、理解できる。戦前と戦後、メディアが発達し噺家がタレント化していく中で、伝統芸能の師弟制度、いわゆる「一門」という擬似家族のなかで修行してきた人間の、苦労や成長、そして弟子や後輩に対する思いもよく分かる。

後半は興津との食談義。こちらは、前半とちがってかなり破天荒。そば、すし、うなぎ、天ぷら、といったものも出てくるけれど、その食はかなり庶民的。というか、今でいうなら、B級グルメ嗜好がつよいというべきか。たとえば天丼の、どんぶりにふたをすることで、その湯気が天ぷらと御飯のところに戻ってきてベトッとするところが、旨いとか。面白いのは、高座で絶品といわれた、そばを手繰るしぐさをする五代目が、実際に蕎麦屋でそばを食べていると、どんな風に食べるのかと、周囲からじっと見られた、という逸話はケッサク。何で作ってあるのか、子供の頃や修行時代に食べた、よくわからない屋台グルメに懐かしさと職人芸的な旨さを語り合い、如何にも芸人仲間の出来事らしい食にまつわる逸話を語り合う、「縁日の味、屋台の味」「食豪伝」も面白い。

五代目は芸談の最後でこういっている。

芸事というのは、苦労して積みあげないと、いいものは結局できない。だから、楽してやったものは、やっぱり底が浅いから、これは、もう、客がついてこないですよ。だから、苦労を重ねて積みかさねてきたやつが、やっぱり深みのある芸なんだ

時に江戸文化の「粋」を象徴する落語家、噺家。ところが五代目はいう。その芸とは「ほんとの苦労をなかからたたき上げる芸」だと。実直で真摯な芸談と、破天荒で庶民的な食談は、非常に対照的。結局そこにある「芸」と「食」に通じる「粋」とは、単にいなせでカッコよさを求めるのではなく、地味な努力や苦労、手間が生み出したものだということが、よくわかる。